2024年5月31日金曜日

聖霊降臨後第2主日 20240602

 説教「安息日の主」 三浦慎里子牧師

6/2(日)14:30~
聖餐礼拝

 

 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 だから、人の子は安息日の主でもある。」イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

マルコによる福音書2章23節~3章6節


礼拝後は定例役員会。お茶とお菓子をいただきながら、たくさんのことを話し合いました。

2024年5月23日木曜日

三位一体主日(聖霊降臨後第1主日) 20240526

       説教「父と子と聖霊」 三浦慎里子牧師

5/26(日)14:30~


 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

ヨハネによる福音書3章1~17節

2024年5月17日金曜日

聖霊降臨主日 20240519

 説教「あなたがたは生きる」 三浦慎里子牧師

5/19(日)14:30~
※牧師の新型コロナウイルス感染のため、信徒礼拝(説教代読)を行います。


 1526わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。164b「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

                 ヨハネによる福音書15章26~27節、16章4b~15節

2024年5月6日月曜日

主の昇天主日 20240512

           説教「喜びの理由」 三浦慎里子牧師

5/12(日)14:30~


 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

                          ルカによる福音書24章44~53節

2024年5月1日水曜日

復活節第6主日 20240505

 説教「友よ」 三浦慎里子牧師

5/5(日)14:30~


 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。

                          ヨハネによる福音書15章9~17節