2023年10月29日日曜日

全聖徒主日礼拝・墓前記念会 。20231105

                                                     全聖徒主日礼拝

           (開始時間は午後3時からに変更となります)


野口勝彦牧師の

「祝福と平安

の説教で守られます。


礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。  


イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

マタイによる福音書5章 1節~12節


礼拝後、墓前記念会を行います。


2023年10月23日月曜日

宗教改革主日礼拝 。20231029

                                            宗教改革主日礼拝(10/29)


野口勝彦牧師の

「信仰による義

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。 



さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
ローマの信徒への手紙3章 19節~28

2023年10月16日月曜日

《三遠地区使信 №1280》20231008「献堂70周年」

 先週水曜日は、岡崎教会献堂70周年記念日でした。今から70年前の1953104日に現在の教会堂が献堂されました。献堂式に関して『四十周年記念誌』に故阿部長治兄が「献堂四十年」として次のように記されています。「一九五三年十月四日午後七時から献堂式が挙行された。式辞はオラフ・ハンセン日本伝道部長、牧師はホーマステッド先生、婦人宣教師はマリアン・ハンスン先生、神学校を卒業したばかりの若い清らかな先生であった」。

その初代岡崎教会牧師のジョン・M・ホーマステッド先生は、『三十周年記念誌』の中で「私たちは、会堂の建築を前向きに考えました。会堂が献堂されるときをたいへん喜んで予想しました。私は、あなたがたが、定礎や献堂式の写真を持っておられるのを幸せに思います」と記されています。

このような喜びの中で70年前に献堂された木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積137㎡の教会堂は、献堂60周年を迎えた20131224日、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。また、同時に岡崎市景観重要建造物にも指定された教会堂は『岡崎の文化財』(岡崎市教育委員会社会教育課文化財班、平成26331)で次のように紹介されています。「日本福音ルーテル岡崎教会の設計は、滋賀県八幡町(現・近江八幡市)のヴォーリズ建築事務所の滝川健次であり、設計は昭和28年の初頭から春にかけて行われ、施工は岡崎市明大寺町の小原建設株式会社が請け負いました。ヴォーリズ建築事務所は、明治38(1905)キリスト教の布教のために滋賀県立商業学校の英語教師としてアメリカより来日したW.M.ヴォーリズ( 1880-1964)によって、明治41年に開業したヴォーリズ合名会社に始まります。愛知県内にはヴォーリズ設計の建築は少なく、現存するものはわずかであり、貴重です。教会堂は戦後の復旧期に建てられた木造教会で、塩焼赤瓦屋根と白い L 壁、さらに教会堂の屋根にある十字架に特徴があり、小規模ながらも清楚で、色彩的にコントラストのある外観です。内部中央の礼拝堂の天井は化粧小屋組で、キングボストトラスを見せています。壁を含め全てを白い空間とし、これにより礼拝堂としての清廉さと厳粛さを表現しています。これに加え、窓からの採光に工夫が凝らされ、中心の十字架周辺がより白く輝くように演出されています」

 岡崎教会は昨年、宣教70周年を迎えました。そして、今年、献堂70周年を迎え、外部木部塗装工事を行いました。来月12()午前中には、「あいちたてもの博覧会」https://www.aichi-tobunkai.org/に参加し、一般公開されます。献堂70周年に感謝し、献堂80周年、90周年、100周年を迎えられるよう祈りたいと思います。

            みのり・岡崎 野口勝彦





2023年10月15日日曜日

聖霊降臨後第21主日信徒礼拝 。20231022

                 聖霊降臨後第21主日信徒礼拝

 (10/22)は


野口勝彦牧師の

「神のものは神に

の代読説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。  



 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。"そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

                         マタイによる福音書22章15節~22節

 

2023年10月8日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝 。20231015

            聖霊降臨後第20主日礼拝

 (10/15)は


野口勝彦牧師の

「神さまの婚宴

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。

イエスは、また、たとえを用いて語られた。"「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

マタイによる福音書22章1節~14節




2023年10月2日月曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝 。20231008

              聖霊降臨後第19主日礼拝

 (10/7・8)は


野口勝彦牧師の

「ふさわしい実

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。  


「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。" さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。 また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」 彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

                   マタイによる福音書21章33節~46節


岡崎教会は今週水曜日(10月4日)、献堂70周年を迎えます。